随分と前になる、ジョエルが始めて日本に来る数年前、俺は鴨川の赤堤にてカッコ良いSurfersに見とれていた。
外国人数名と日本人数名のSurferが素晴らしいレギュラーの波を
Longboardを使いダンスしていた。
海からあがってくるとjeepの様なランクルのボンネットに素足で上がり
ロングボードを縛り上げていた
(その後数年間5万で買った車のボンネットに登りサーフボードを縛っていたのは俺ですw)。
その時思った、俺もロングボードに乗りたい。
子供の頃から海は好きでポパイでサーフィンの記事を見た高校1年生の時には
波に乗ると決めた。
初めてサーフボードを丸井で買い分割払いでオーストラリアのPeter Townend の
Fishなのにシングルフィンを手に入れ颯爽と七里ヶ浜の、
への字へとパドルアウトしたのを忘れない。
そう初めてLongboardを手に入れたのは,
赤堤であのSUFER達を見た次の日に職場のオバちゃんにLongborderを見て
俺もLongboardに乗ってみたいと言った。
するとそのおばちゃんは、家の玄関に有るから持って行って良い言う。今も持っているが米沢プラスチックのマリブのLongboardだった。
その時にはボロボロな板の壊れたノーズ部にチューインガムを突っ込んで
波に乗っていた、勿論リーシュなんて無いけど
頭位の波には恐いもの知らずに波に乗る馬鹿者だった。
初めてLongboardに乗った時は、なんでうまくターン出来ないのか?
めちゃくちゃ遣る瀬無い気持ちで波に向かっていた。
短い板ではバリバリ波には乗っていたのに。。
その頃にはまだLongborderなて鵠沼には数人しか居なくて
会えばすぐ顔見知りになれる良い時代だ。
何でこんな思い出話しをするかと言うと、5月23日に、偉大なサーファー、💗本多勝己さんが、亡くなったから思いにふけるのです。
彼は第2期にプロロングボーダーに成ったSuefer。
マーボーロイヤルからスポンサーされた数年、その後アマチュアにもどる、彼とは良くタンデム用の大きなLongboardで夏の海を滑走した。
間違いなくロングボードリバイバルに貢献した1人である。
彼は若いSurferに沢山の影響を与えた1人だと思える、彼に敬意を表しここに記する。
俺たちの心の中で永遠に生きるSurfer。
💝安らかに眠れ
Pease out
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